社会福祉法人光輪会について

50周年記念事業

橘保育園創立50周年記念事業がおこなわれました

平成16年7月3日(土)、橘保育園創立50周年記念事業がおこなわれました。

橘保育園について

橘保育園は昭和28年4月1日に産声をあげました。開設された当時は、戦後の荒廃から漸くにして脱し、民主国家日本として新たに甦るべく国民こぞって努め、そしてその手ごたえを感じ始めた頃でした。創設者の故弘中慧見師は、安楽寺の住職としてご法義繁盛に務める一方、社会におけるお寺のあり方についても真摯に考えたようです。

すなわち、日本の社会全体が経済的に立ち直りつつあるなかで、戦争によって父を亡くし、また夫を亡くされた女性が、家計を支えるために就労を余儀なくされるなど、女性は家庭にあって家事・育児に務めるのが当たり前の時代に、いろいろな事情で「保育に欠ける」子どもたちを親御さんに代わってお世話させていただこうと発願したのです。

安楽寺の書院を開放して、お寺の社会奉仕事業として宮崎県知事の認可を受けて始めたのでした。保育制度ができて間もない頃で、今とはまったく比較にならないほど厳しい条件下での保育事業でした。 爾来、宮崎市の文字通り中心地にあって半世紀を超える保育の歴史を刻んでまいりました。

第一部「市民のための子育て講演会」

記念事業の第一部は、宮崎市民プラザ・オルブライトホールで《市民のための子育て講演会》を開催いたしました。

文部科学省国立教育政策研究所次長の小田豊先生を講師にお迎えして、「子ども、その今と未来…」というテーマでお話を伺いました。6月初めに佐世保市で起こった小学6年女児殺害事件から話を起こされましたが、「子どもは優しい」「子どもの心は豊か」…と繰り返され、家庭でも、学校でも、社会でも、子どもの中からこれらを引き出せない大人のあり方を問いかけられました。

また、発達の捉え方を考え直ししていただきたいと訴えられました。「できる」「できない」を問題にするのではなく、つまり、結果を問題にするのではなく、「プロセス(過程)にしっかり目を向けて欲しい。」「発達には、正の発達もあれば負の発達もある。」というお話でした。日頃の子育てを深く考えさせられました。

第二部「50周年記念祝賀会」

第二部は、ホテルプラザ宮崎に関係者200名ほどが集まって《50周年記念祝賀会》を開催いたしました。

安楽寺コール・ルンビニーの合唱でオープニング。『のんのさま』『ありがとう』『二度とない人生だから』の仏教讃歌三曲を披露していただきました。指揮者は、宮崎を代表するコーラスグループ「はまゆうコーラス」の指導者・中村禎子先生で、見事なハーモニーと歌詞のメッセージは、出席された皆様おひとりおひとりの胸にしっかりと刻まれたことと思います。

ご来賓として、宮崎市長代理の小宮大一郎氏(助役)、地元選出議員の中山成彬氏(衆議院議員)・鳥飼謙二氏(県議会議員)・前本和男氏(県議会議員)・戸高裕之氏(市議会議員)、また行政関係からは猪俣俊秀氏(県児童家庭課長)・矢括孝一氏(市児童福祉課長)・高松建一郎氏(市児童福祉課長補佐)、そして松野隆氏(宮崎小学校長)・奥村眞人氏(宮崎中学校長)の皆様が、お忙しい中ご出席くださり、有難いことでした。

祝宴が始まると、会場のあちこちで懐かしい再会で盛り上がる光景がみられました。橘保育園の新旧保護者で結成されたバンド「たちばなロマンティックス」の演奏が始まる頃には楽しさも最高潮に達しました。続いて、「 50年の歩み」の映写を見ながら、それぞれご自分と橘保育園との関わりを思い起こされるとともに、橘保育園の半世紀の歴史の重みを感じられていたようでした。

記念本が出版されました

50周年を記念して『子ども、その今と未来~まことの保育を求めて』が出版されました。

現・弘中信厚園長がこれまでお育てを受けたたくさんの方々の中から17名の先生方に、子ども論・保育論・家庭論を執筆していただきました。合わせて、毎月発行の『園だより』に掲載している園長の巻頭言のなかから編集しました。

※お求めの際はお気軽にお問い合わせください。

記念グッズが作られました

50周年を記念して『一筆箋・絵はがき・便箋』が作られました。

『園だより』表紙には保護者の男成美利氏に描いていただいた絵が掲載されています。着色された絵は、月替わりで園児玄関内に飾っています。

男成さんの絵は、子どもに対する愛情あふれるもので、テーマ、構図、色づかい、どれも優しく、楽しく、ユニークなものです。平成11年度から描き溜められた絵を、もっともっとたくさんの人にご覧いただきたいと願っていましたが、それらの中の一部が「一筆箋」などでご披露させていただくことになりました。

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