園長徒然記
2025年7月1日(火)
先月6月3日、“ミスタープロ野球”こと長嶋茂雄さんが逝去されました。私にとって、「長嶋」は少年時代からの憧れの「ヒーロー」です。亡くなられても変わることはありません。昭和32年12月、東京六大学野球で大活躍した立教大学の「長嶋」がプロ野球の読売巨人軍に入団しました。その時、私は宮崎小学校の1年生で、「長嶋」のことはまったく知りません。その頃は、まだテレビはなかった(我が家でテレビを見ることができるようになったのは、小6の頃だったと思います。)ので、「長嶋」のことに興味を持ったのは、小2のときに巨人の宮崎キャンプが始まってからのことです。その頃、チャンバラや缶蹴り・ビー玉遊び(“天国と地獄”など)、虫捕りなどの遊びに野球が加わりました。特に三角野球(三角ベースで2塁はありません。)は、放課後毎日のように遊んでいました。私も友達も、誰もがサードを守ろうとし、また4番バッターを打とうとしますが、最後はジャンケンで決めました。打ち方も守り方も、走り方も、いつの間にかみんな「長嶋」を真似ていました。誰か一人が「長嶋」になるのでなく、一人一人がみんな「長嶋」であろうとしました。「長嶋」は「夢中になって遊ぶ」ことを教えてくれました。合掌(『園だより』より)